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2015年04月28日

インタビュー/ティンマシンモーターサイクル代表・高橋勝也さん(前編)


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和歌山県に拠点を置くティンマシンモーターサイクル。これまで良質なカフェレーサーを多く発表してきた同店は、今年で11年目を迎える。そこで代表の高橋さんにバイク、そしてSRとの出会い。さらにティンマシンをオープンするまでのいきさつを聞いた。
 前後編の2回に分けて行うインタビュー……まずはSRとの出会いまでを聞いた。

取材協力:ティンマシンモーターサイクル

 
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ライフスタイルだったバイク。そしてSRとの出会い

編集部(以下、編)ー高橋さんのバイクに関するパーソナルな部分からお聞きしたいと思います。まずは、バイクに乗り始めたキッカケを教えて下さい。ー
高橋さん(以下、T)「まぁ、モテるかなと(笑)。男の子だったらだいたい通る道というか……バンドとかファッションとか何もかも異性を意識するという。ちょうど僕がバイクに乗り始めた時期というのはストリートファッションとかアメカジとかが流行り始めたころで、そのライフスタイルの1つとしてバイクがあったんです。僕らより3つ上くらいの人たちはモータースポーツが全盛で、F1とか8耐とかが普通に民放のゴールデンで放送してたのもあって、バイクといえばファッションではなくて2ストレーサーとか、どんだけ速いかとか性能がいいだとか、ブレーキはディスクなのか、馬力は1馬力でもあったほうがいい……っていう感じ。だけど、ちょうど僕らくらいの世代から、なんとなくバイクが一般的になりはじめたんですね。世代的に、僕もそんな時流に乗っかかったんです」

編集部(以下、編)ー何年生まれでしたっけ?ー
T「1973年6月12日生まれの41歳です。(2015年4月現在)」

編 ーその頃って、どういったバイクが主流でした?ー
T「ちょうど国産アメリカンが来たころですね。『ハーレーダビッドソン&マルボロマン』とかも流行っていて、渋谷のチーマーとかはバンソンの革ジャンにブーツカット履いてって時代でしたからね。スゴい人らはハーレーに乗っていて、なんとなくそういう雰囲気にしたい人はスティードをハーレーみたいなポジションにしてました。それが高校を卒業するころだったので、同級生はみんな卒業したら働きだすということで、フルローンでスティードやビラーゴなんかを買ってカスタムして。だけど僕は卒業後は専門学校に行くのが決まってたからお金もないし……なけなしのバイトで貯めたお金でレブル250を買いました」

編 ーなぜレブル250?ー
T「地元(和歌山)のバイク屋さんに20万円を持って行って『コレ(20万円)で買えるアメリカンバイクが欲しいんですけど』って、話しかけました。そうしたら、なんともいえない苦い顔をされながら(笑)、『こんなんしかないけど』って言われて出されたのがレブルだったんです。そのレブルもすでにいじられてて、マフラーが入ってトリプルツリーも変わっていて、フロントフォークも伸びててという感じで……当時は知識もないので『まさしくこれや!これしかないやろ!』と思って買ったんです。友だちのなかで僕だけまだバイクを買ってなかったので、まわりからも『高橋がとうとうバイク買った』と噂になって、納車日に待ち合わせして、みんなで走ることになりました。近所の集合場所まで僕は意気揚々と走って行ったんですが、いざ乗ってみると、なんか思っていた感覚と違うんです(笑)。小さくて、シートもペタペタで、ステップもノーマルで……それでバイクを友だちに見せたら、ある一人が『高橋くん、これアメリカンちゃうでっ』ていうんですよ。『なんで!? めっちゃアメリカンやんか!!』って言い返したんですけど、『みんなのバイク見てみ。アメリカンってエンジンこうやろ?』と言われて友だちのバイクを見たら全然違うし、排気音も違うんです。『だから高橋くんのは純粋にアメリカン違うんや』って言われたんで、買ってその日で嫌になったんですよ(笑)。さらに言えば、みんな400ccやけど僕250ccやし……。結局、お金もないし、買ってしまったから乗るしかないかと思って、それでずっと乗ることになったんですけどね」

編 ーそれは悲しい過去ですね(笑)。レブルも今では人気の絶版アメリカンなんですけどね……。で、レブルはどれくらい乗ってたんですか?ー
T「今スティード400とレブル250のどっちに乗る?って聞かれたら、迷わずレブルを選びますね(笑)。人の感覚って、不思議ですね(笑)。レブルは結局、2年弱乗りました」」

編 ーということは、レブルを愛することなく、2年間も一緒に過ごすことになったんですか?ー
T「……と言いつつも、乗ってると愛着もそれなりに沸くし、結局それでいろいろツーリングはしましたよ。最終的には青森まで行ったりしました。ただ、その青森までの旅でレブルに結構ガタがきてしまって。当時は若かったので、旅をするのがカッコイイと思ってたんです。シッシーバーにいろんなもんをくくりつけて、まさに『イージー★ライダー』の世界です。とにかく1人でどこかに行くというのが流行ってて、仲間内で『俺はどこまで行った』なんて話してましたね」

編 ーみんな一緒ではなく、個人で行くんですか?ー
T「そうです。普段はもちろん、みんなで一緒に走るんですが、こっそり個人でも行って『どこまで行った』って自慢するみたいな。青森まで走ったときも、当時は専門学校生で、『社会人になれば夏休みなんて今後はそんなにないやろう』ということで、1回どこまで遠くに行けるか試そうと思って決行した。父親の実家が秋田県で、とりあえず秋田の婆ちゃん家まで走ろう、と。出発は意気揚々とGジャンGパンにジェットヘルメットをかぶって、さらにシッシーバーにテントをくくり付けて、ライザーのとこにテントの下に敷くクルクル巻いたスポンジのマットレス縛って(笑)、ずっと下道を走ってたんですけど、初日、滋賀県の近江舞子くらいで飽きましたね」
編 ー和歌山から滋賀まで!? 飽きるの早過ぎますよ(笑)。ー

編 ーだけど、なんだかんだ言ってもレブルで距離は相当走ったんですね。それで、2年弱乗った後はどうされたんですか?ー
T「青森まで走った後、なんか燃え尽きたというか、レブルもそろそろ売って、何か別のバイクも乗りたいと思ってたんです。そしたらちょうど専門学校生の友だちが、『そろそろバイクの免許とりたい』って話してたので売りました。確か6、7万くらいで売ったのかな。結構ボロくなってたんで、もちろんモノも見せて状況も話して売りました(笑)。売ったお金とバイトのお金、あとギターやなんやかんや売って、SRX400を買いました。中古の後期型。そうしたら、それと同じ時期に弟がSR400を買ったんです。ところが弟が『SRXの方がええわ』って言い出した! それで弟のSRと僕のSRXを交換したんです」

編 ーそれがSRとの出会いなんですね。ー
T「そうですね。そういえば高校のときに友だちがSRを買って、『なんであんなおっさんくさいバイクがええんかな?』と思った。あおのときはまったく魅力を感じなかったんですよ。その彼は、高校1年生の時に『免許を取ったらSRを買う』って言うので、僕はSRを知らなかったから『どんなバイク?』って雑誌を見せてもらった。『なんかオッサンくさいバイクやな!』が第一印象ですよ(笑)。結局、SRの何がええのかまったく分からへんまま、僕は高校3年間を過ごした。だけど、その彼が徐々にマフラーを替えて、ウインカーを小さくして、シートを薄いやつに変えて…とカスタムをしだした。そのときにはじめて『あれ? なんかカッコ良くなってきてるやんか』と思ったんです! しまいに彼がセパハンを入れたときには、見た瞬間に『なにこれ!? めちゃくちゃかっこええやん!』 って、衝撃を受けましたね」

編 ーその衝撃が忘れられない感じなんですね。ー
T「そうです。ただ、なんとなく乗った感じでいうと、SRXの方がしっとりしてるし、乗りやすいんですよね。弟と交換したあと、いざSRに乗ってみたら遅いんですよ。買ったバイク屋さんに行って、『これひょっとしたら壊れてるかもしれない。全然走らへん』って言うたんです。店員さんから『なんでそう思うの?』って聞かれたんで、『僕が前に乗ってたSRXはもうちょっと走った』って返したら『SRXと一緒にしたらあかん!』と。『単気筒で400なのに一緒ちゃうの?』って、さらに聞いたら『全然違う。SRはこんなもんや』って言われて……ショックでしたね。その時に、なんとかSRを速くできないかと考えました」

編 ーそうやってショックを受けたのに、乗り換えようとは思わなかったんですか?ー
T「その時にSRが載っている本をいろいろと見出してたんです。そのなかで、クラブマンかライダースクラブの特集記事で、スリーエーさんのUSカフェだったと思うんですが、SRをウイリーさせている写真が載っていた。それを見て、『すげー!SRでも速くなるかも?』という考えになったんですね(笑)。カスタムもそのSRはカフェレーサーで、ダらか自分も絶対セパハンにしようと思ったし、ある日から『ロケットカウルは絶対つけたいなー!フレームもいつかはメッキにしたいけど幾ら掛かるの?』と思うようになった。SRって、ちょっとずつでもカスタムをすれば、それが確実に返ってくる。例えばキャブレターなんかも、FCRに変えるとビックリするくらい走るようになるし」
 

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弟さんと交換したというSR。20年前に入手し、いまでもティンマシンの看板マシンとして、多くのSRファン、そしてカフェレーサーファンを魅了し続けている。

 
SRをもっと速く、カッコ良く!!

編 ーでは、カスタムもその頃からやり始めた?ー
T「たまたま友だちのお父さんから、SR500を5万円くらいで書類無しの車体を丸ごと売ってもらったんです。19インチのディスクブレーキモデルです。僕のSR400は94年モデルなんで、フロントはドラムブレーキでしたから、『足周りを入れ替えたらディスクブレーキにもなるし、エンジンバラして500クランクを入れたら500ccになってめっちゃ速くなるし。これが5万は安い!!』と思って買いました(笑)。その友達の実家は自転車屋さんで、作業場所も貸してくれてたので、そこで自分で作業をやりましたね。結局、SRに1年も乗ってないのにエンジンをバラして、CVキャブのまんま500ccにして乗ってみたら……僕が感じた感想ですけど……とくに『スゴイなー』とは思わなかった。それでキャブレターを500に付いてたVMにかえたらちょっとレスポンスが良くなったので、それならとFCRに変えたんですよ。そうしたらビックリするくらい走るようになった。今でも忘れられない! なにも考えてなかったから前後スプロケ400のままの減速比で、クラッチを繋いだらパーンと前輪が浮いて、『ウソやん!すげー!』なんて思いましたね(笑)」

編 ーひょんなことからSRを手に入れて、コイツをなんとかしようと手を入れていくうちに、急激にバイクの知識が増えていったってことですか?ー
T「そうですね。バイクというかSRのことに関してですね。昔から、バラして組んでというのは好きだったので、そういうことは僕らの仲間内ではなんとなく、自分らでやるもんやと思ってました。お金を出してお店にやってもらう感覚がなかったですね。それはなぜか? 単にお金が無かったから、なんですけどね(笑)」

編 ー高橋さんがSRにハマった最大の理由ってなんですか?ー
T「今思えば『すべて』ですね。スタイルもそうですし。やっぱりキッカケは先ほどの友だちがSRをセパハンにした衝撃。そこから、たまたま手に入れたSRが走れへんかったっていうのもあって、イジっていくことによってどんどんハマっていくというか……イジればその分、しっかりと返ってくる感じがたまらなかったですね。」

編 ーそういう衝撃が今に繋がっていくんですね。カッコいいのに走らない、だからそれをイジリたいという。ー
T「そうですね。『もうちょっと走れるようになれへんかなぁ』と思ってイジってたらどんどん楽しくなって。その頃『THE・SR』とか『SR FILE』とかが出だした頃で、それらの本を眺めてたら『これより勝ってるな』とか、『これにはまだ負けてるな』とか(笑)。その頃はインターネットがなかったから、雑誌に対して変な対抗心を燃やしながらイジってましたね。いま考えれば浅はかで、だけどそれも微笑ましい」

編 ーでも知らずにバイクを組めるのがスゴいですよね。ー
T「どういう風になっているのか一応は見ますけど……ハッキリ言って若さゆえ、ですよね。あったものを外して、そこに同じものをつければいいんだろう、と。だけどもちろん、そんなに上手くはできないわけで……。はじめて500クランクにした時も2~3回は組み直したと思います。1回目は、クラッチハウジングの中にワッシャーが2つあるんですけど、奥と手前を入れ間違えて……そうすると普通にエンジンは最後まで組めてしまって、始動もできるんですけど、いざ走ろうとするとクラッチが切れなくなる。『なんでやろ?』と思ってマニュアルを見ても、ワッシャーの向きなんて載ってない。だから最初は分からなくて、自分なりにいろいろ考えた。クラッチが切れないんだから原因はクラッチだろうと思って、ワッシャーの向きを入れ替えてみたら、みごと解決。『良かった~!』と思ったら、今度は2速が上がらなくなった(笑)。シフトギアの噛み合わせを間違ってたんですね。それで、またまたバラして……合計3回はバラしましたね(笑)。ほかにもエンジンをバラす前に、オイルをフレームからは抜いたけど、クランクからは抜いてなくて床に大量にぶちまけてしまったり(笑)。いろいろやりましたよ。」

 
後編では、高橋さんがティンマシンモーターサイクルを立ち上げるまでのエピソード、同店のこだわりなどを聞いていきます。お楽しみに!!
 

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ティンマシンモーターサイクル
高橋勝也さん
 

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